健康保険の移送費は、病気やけがで移動が難しい患者が、医師の指示により一時的・緊急的な必要があって病院などへ移送されたときに、後から現金で支給される給付です。支給には3つの要件をすべて満たすことが必要で、金額は実際にかかった費用ではなく「最も経済的な通常の経路・方法」で移送した場合の費用で計算します(実費が上限)。申請には領収書と医師の意見書を付け、移送費用を支払った日の翌日から2年以内に保険者へ出します。
この記事は、転院の搬送費や民間救急の料金を払って「健康保険から戻るのか」と迷っている患者・家族と、窓口で移送費を案内する病院の医事課・健康保険組合の担当者に向けたものです。対象になるかどうかの判断、金額の決まり方、意見書に書くこと、救急車・介護タクシーとの関係、医療費控除の通院費との違いを、法令と公式資料に沿って順に説明します。
移送費は誰が、どの健康保険から受け取るのか
移送費は、健康保険法第97条に定められた給付です。被保険者(保険料を払って加入している本人)が療養の給付を受けるために病院・診療所へ移送されたとき、厚生労働省令で定める方法で計算した金額が支給されます。同条第2項により、支給は「保険者が必要であると認める場合に限り」行われます。つまり、移送されたという事実だけで自動的に出るものではなく、保険者(協会けんぽや健康保険組合など)の審査を経て支給が決まります。
被扶養者(扶養されている家族)が移送された場合は「家族移送費」となり、被保険者に支給されます(健康保険法第112条)。国民健康保険と後期高齢者医療制度にも同じ趣旨の移送費があります。
| 加入している制度 | 移送された人 | 給付の名称と受け取る人 | 根拠条文 |
|---|---|---|---|
| 健康保険(協会けんぽ・健康保険組合) | 被保険者本人 | 移送費(被保険者) | 健康保険法第97条 |
| 健康保険(協会けんぽ・健康保険組合) | 被扶養者 | 家族移送費(被保険者) | 健康保険法第112条 |
| 国民健康保険 | 被保険者 | 移送費(世帯主または組合員) | 国民健康保険法第54条の4 |
| 後期高齢者医療制度 | 被保険者 | 移送費(被保険者) | 高齢者の医療の確保に関する法律第83条 |
以下では健康保険(主に協会けんぽ)の取扱いを中心に説明します。国民健康保険や後期高齢者医療制度、健康保険組合の申請書式・提出先は、それぞれの保険者に確認してください。
支給されるかどうかは3つの要件で判断する
健康保険法施行規則第81条は、保険者が次の3つのいずれにも該当すると認めた場合に移送費を支給すると定めています。協会けんぽも同じ3要件を「給付対象」として示しています。
| 要件 | 施行規則第81条の文言 | 協会けんぽの説明 |
|---|---|---|
| 1. 療養の適切さ | 移送により法に基づく適切な療養を受けたこと | 移送先で行われる療養が保険診療として適切であること |
| 2. 移動の困難さ | 移送の原因である疾病または負傷により移動をすることが著しく困難であったこと | 療養の原因である病気やけがにより、歩行することが著しく困難であること |
| 3. 緊急性・やむを得なさ | 緊急その他やむを得なかったこと | 緊急その他で、やむを得ない事由であること |
この3要件の運用は、移送費が現金給付になった平成6年10月1日に合わせて出された厚生省の通知「健康保険の移送費の支給の取扱いについて」(平成6年9月9日保険発第119号・庁保険発第9号)に示されています。通知は、移送費を「移動が困難な患者が医師の指示により一時的、緊急的な必要性があって移送された場合」の出費を補うものと位置づけ、通院など一時的・緊急的とは認められない場合は対象にならないとしています(通知中の規則の条番号は当時のもので、現在の第80条・第81条にあたる規定です)。
実際に迷いやすい場面を、通知の支給例と協会けんぽが示す対象外の例で並べると次のとおりです。通知は、支給例はあくまで標準的なもので、個々の事例に応じて社会通念上妥当な範囲で保険者が判断するとしています。
| 場面 | 扱い | 根拠 |
|---|---|---|
| 負傷した患者が災害現場などから医療機関へ緊急に移送された | 支給される例 | 平成6年通知 |
| 離島などで重い病気・けがになり、近くの医療施設では必要な医療が不可能または著しく困難なため、最寄りの対応可能な医療機関へ移送された | 支給される例 | 平成6年通知 |
| 移動困難な患者で、入院先の設備などでは十分な診療ができず、医師の指示で緊急に転院した | 支給される例 | 平成6年通知 |
| 近くに十分な治療を受けられる病院があるのに、離れた病院へ移送した | 対象外 | 協会けんぽ |
| 退院の際、歩行できないので移送した | 対象外 | 協会けんぽ |
| 歩行できない人が自宅から通院するためにかかった交通費 | 対象外 | 協会けんぽ |
判断の順番としては、まず「医師の指示があったか」、次に「病状のために自力での移動が著しく困難だったか」、最後に「緊急性があり、移送先がその病状に必要な医療を受けられる最寄りの医療機関だったか」を確かめると整理しやすくなります。退院や通院のための移動は、移動が困難であっても対象外とされている点に注意が必要です(協会けんぽ・平成6年通知)。
支給額は「最も経済的な通常の経路・方法」で計算する
健康保険法施行規則第80条は、移送費の額を「最も経済的な通常の経路及び方法により移送された場合の費用により算定した金額」とし、ただし実際に移送にかかった費用を超えることはできないと定めています。実際に払った額がそのまま戻るとは限らない、というのがこの給付の特徴です。
| 項目 | 算定の考え方 | 根拠 |
|---|---|---|
| 経路 | 必要な医療を行える最寄りの医療機関まで、傷病の状態に応じた最も経済的な経路 | 平成6年通知 |
| 運賃 | 傷病の状態に応じた最も経済的な交通機関の運賃(自動車・電車などの運賃) | 平成6年通知、協会けんぽ |
| 片道か往復か | 移送される患者は往路のみ | 平成29年12月22日事務連絡 |
| 医師・看護師などの付添い | 医学的管理が必要だったと医師が判断した場合に限り、原則1人までの交通費。付添人は関係施設間を行き来する必要があるため往復が対象(復路も最も経済的な経路で算定) | 平成6年通知、平成29年事務連絡 |
| 上限 | 現に移送に要した費用の額 | 施行規則第80条 |
| 天災など | 上記の取扱いが難しい事情があるときは、現に要した費用を限度に例外的な取扱いも認められる | 平成6年通知 |
付添った医師・看護師などによる医学的管理の費用は、移送費とは別に「療養費」として支給されることがあります。平成6年通知は、患者がその費用を支払った場合、現に要した費用の範囲内で、診療報酬の基準を勘案して療養費を支給できるとしています。
救急車・民間救急・介護タクシーを使った場合の考え方
移送費は、どの車両を使ったかではなく、前述の3要件を満たすかどうかで判断します。そのうえで、支給額は施行規則第80条により実際に払った費用が上限になるため、患者が費用を払っていない搬送では請求する金額そのものがありません。手段ごとに整理すると次のとおりです。
| 移送の手段 | 移送費との関係 |
|---|---|
| 消防機関の救急車 | 患者が運賃を支払っていなければ、移送費として請求する費用は生じません。なお、消防庁と厚生労働省の通知(令和7年6月30日付け)は、消防機関の救急業務は緊急性のある傷病者の搬送が対象であり、緊急性の乏しい転院搬送には病院救急車や消防機関が認定する患者等搬送事業者などを活用するよう求めています。 |
| 病院救急車 | 同じ通知は、救急外来を受診し初期診療を受けた患者の転院搬送に対する診療報酬上の評価(救急患者連携搬送料)が令和6年度の診療報酬改定で新設されたことに触れています。病院からの請求がどの名目か(診療報酬の一部負担金か、別の搬送料金か)を領収書で確認し、患者が別に搬送費用を払った場合に、その費用について移送費の対象になるかを検討します。 |
| 患者等搬送事業者(いわゆる民間救急)・タクシー | 3要件を満たせば、支払った運賃のうち、最も経済的な通常の経路・方法で算定した範囲が支給の対象になり得ます。退院時の帰宅や通院に使った場合は対象外です。 |
| 介護タクシー(介護保険の通院等乗降介助と組み合わせた運送) | 介護保険が評価するのは乗降の介助で、運送そのもの(運賃)は介護報酬の対象外とされています。通院のための利用は、健康保険の移送費でも対象外です(協会けんぽの「歩行できない人が自宅から通院するための交通費」)。 |
医事課の立場では、転院搬送を手配する段階で「移送費の対象になるかは保険者の判断」であることと、申請に医師の意見書が必要であることを患者・家族に伝えておくと、後から書類をそろえる手間が減ります。
何を、いつまでに、どこへ出すか
移送費は、移送費用をいったん支払い、後日保険者に申請して払い戻しを受ける流れです。協会けんぽでは「健康保険移送費支給申請書」を加入している都道府県支部へ郵送するか、電子申請で提出します。施行規則第82条は申請書の記載事項と添付書類を定めており、協会けんぽの案内もこれに沿っています。
| 書類 | 主な内容 | 用意する人 |
|---|---|---|
| 移送費支給申請書 | 被保険者等記号・番号または個人番号、移送を受けた人の氏名・生年月日、傷病名と原因・発病(負傷)年月日、移送経路・方法・年月日、付添人の氏名・住所(付添いがあった場合)、移送に要した費用の額、第三者行為の有無、振込先 | 被保険者 |
| 医師または歯科医師の意見書 | 移送を必要と認めた理由(付添いがあれば、その付添いを必要と認めた理由も)、移送経路・移送方法・移送年月日、診療(診断)年月日、医師・歯科医師の氏名 | 移送を指示した医師・歯科医師 |
| 領収書と明細 | 移送に要した費用の領収書と、その明細がわかるもの | 被保険者(搬送事業者などから受け取る) |
| 状況に応じた書類 | 外傷の場合は負傷原因届、交通事故など第三者の行為による場合は第三者の行為による傷病届、領収書が外国語なら翻訳文 | 被保険者 |
協会けんぽは意見書の様式を公開しています。意見書には移送を必要と認めた理由(付添いがあればその理由も)を書くことになっているため(施行規則第82条第2項)、医師には「なぜその時点でその医療機関へ移送する必要があったか」が読み取れるように書いてもらうことが大切です。
| 期限に関する項目 | 内容 | 根拠 |
|---|---|---|
| 時効の期間 | 保険給付を受ける権利は、行使できる時から2年で時効により消滅 | 健康保険法第193条 |
| 移送費の時効の起算日 | 移送に要した費用を支払った日の翌日 | 協会けんぽ |
時効を過ぎた場合の考え方は、高額療養費を例にした高額療養費の時効2年を過ぎたら?期限切れの対処法も参考にしてください。
医療費控除の通院費とは何が違うのか
移送費は健康保険からの現金給付で、医療費控除は確定申告で所得税を軽くする仕組みです。どちらも「病院へ行くための交通費」に関わりますが、対象となる移動の範囲が異なります。医療費控除の金額は、実際に支払った医療費の合計から保険金などで補てんされる金額を引き、さらに10万円(総所得金額等が200万円未満の人は総所得金額等の5パーセント)を引いた額で、最高200万円です。
| 比較の観点 | 健康保険の移送費 | 医療費控除の通院費など |
|---|---|---|
| 仕組み | 保険者が支給する現金給付 | 所得税の所得控除(確定申告) |
| 対象となる移動 | 一時的・緊急的な移送に限る。通院は対象外 | 医師等による診療等を受けるための通院費、医師等の送迎費など、診療に直接必要で通常必要なもの |
| タクシー代 | 3要件を満たした移送について、最も経済的な通常の経路・方法で算定した範囲 | 電車やバスなどの公共交通機関が利用できない場合を除き対象外。病状からみて急を要する場合などに病院へ収容されるためのタクシー代は対象 |
| 付添人の交通費 | 医学的管理が必要と医師が判断した場合に、原則1人まで | 患者の年齢や病状から一人で通院させるのが危険な場合は対象。入院中の子どもの世話に通う親の交通費は対象外 |
| 自家用車 | (本記事で確認した公式資料に記載なし) | ガソリン代や駐車場の料金は対象外 |
同じ移送の費用について移送費を受け取ったうえで医療費控除も検討する場合は、国税庁が「保険金などで補てんされる金額」として、社会保険の法令に基づいて医療費の支払いを原因として受ける給付金を挙げている点を確認し、差し引きが必要かを判断してください。補てん額は、その給付の目的となった医療費の額を限度に差し引き、引ききれない分を他の医療費から引く必要はないとされています。
よくある質問
Q. 入院先から自宅へ帰るとき、歩けないので民間救急を使いました。移送費は出ますか。
協会けんぽは「退院する際に歩行ができないので移送する場合」を健康保険の対象とならない例に挙げています。移送費は療養を受けるための移送が前提で、退院のための移動はこれにあたりません。
Q. 歩行が難しく、毎回介護タクシーで通院しています。移送費の対象になりますか。
対象になりません。協会けんぽは「歩行できない人が自宅から通院するためにかかった交通費」を対象外とし、平成6年通知も通院など一時的・緊急的と認められないものは対象外としています。介護保険でも運送そのもの(運賃)は介護報酬の対象外です。医療費控除では、公共交通機関が利用できない場合のタクシー代は対象から除かれないため、領収書を保管しておくとよいでしょう。
Q. 海外で病院から病院へ移送された費用や、海外の病院へ行く航空運賃は移送費や海外療養費になりますか。
厚生労働省の事務連絡(平成29年12月22日)は、海外での治療は「療養の給付を受ける」ことにあたらないため、渡航のための航空機などの費用に移送費は支給されないとしています。また、海外で病院間を移送された費用も、移送費が海外療養費の対象となる給付に含まれないため、海外療養費の対象にならないとしています。海外の治療費そのものの扱いは海外医療費は高額療養費の対象?帰国後の申請を解説で説明しています。
Q. 2025年・2026年の制度改正で、移送費の要件や計算方法は変わりましたか。
2026年10月時点で厚生労働省の法令等データベースに掲載されている条文を確認したところ、改正履歴の注記上、健康保険法第97条は平成18年の改正以降、施行規則第80条・第81条は平成15年に設けられて以降、改正がなく、要件と算定方法の規定は変わっていません。申請書の記載事項を定める施行規則第82条は、公金受取口座の利用などを含む令和4年までの改正が反映されています。
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まとめ
- 移送費は、移動が困難な患者が医師の指示で一時的・緊急的に移送されたときの現金給付で、被扶養者は家族移送費として被保険者に支給されます。
- 支給には、適切な療養を受けたこと、移動が著しく困難だったこと、緊急その他やむを得なかったことの3要件をすべて満たし、保険者が認めることが必要です。退院時の移送や通院は対象外です。
- 支給額は最も経済的な通常の経路・方法で算定し、実費が上限です。患者は往路のみ、付添いは医師が医学的管理を必要と判断した場合に原則1人までです。
- 申請には申請書、医師の意見書、領収書と明細が必要で、移送費用を支払った日の翌日から2年で時効になります。
- 医療費控除の通院費とは対象の範囲が違い、移送費を受け取った場合は控除の計算で補てん額の扱いを確認します。
出典
- 健康保険法 第97条(移送費)、第112条(家族移送費)、第193条(時効)
- 健康保険法施行規則 第80条(移送費の額)、第81条(移送費の支給が必要と認める場合)、第82条(移送費の支給の申請)
- 国民健康保険法 第54条の4(移送費)
- 高齢者の医療の確保に関する法律 第83条(移送費)
- 厚生省「健康保険の移送費の支給の取扱いについて」(平成6年9月9日保険発第119号・庁保険発第9号)
- 厚生労働省「臓器移植に係る療養費及び移送費の取扱いに係るQ&Aの送付について」(平成29年12月22日事務連絡)
- 消防庁・厚生労働省「転院搬送における救急車の適正利用の推進について」(令和7年6月30日消防救第217号・医政発0630第6号)
- 全国健康保険協会「移送費」「健康保険移送費支給申請書」
- 国税庁 タックスアンサーNo.1120「医療費を支払ったとき(医療費控除)」、No.1122「医療費控除の対象となる医療費」、質疑応答事例「病院に収容されるためのタクシー代」「患者の世話のための家族の交通費」
- 国土交通省「『福祉』と『交通』が重なる現場の方々へ 高齢者の移動手段を確保するためのパンフレット」
取り扱いは加入している保険者(協会けんぽ・健康保険組合・市町村国保・後期高齢者医療広域連合など)によって異なる場合があります。実際の手続きは、各保険者の窓口で最新の取り扱いをご確認ください。

